出会い


短大を出て 社会人となり田舎を離れての一人暮らしも慣れてきたころ、生活には何の悩みも無かったのですがなぜか 私の心の片隅に「世界は悲しみに満ちている」という感覚が消えませんでした。


そして それは「私の悲しみではなく、他の誰かの」「世界は救われない。なぜならイエスキリストもブッダももう死んでしまったし」


はたちの女子のただの感傷だったのでしょうか。そんな事を考えていた時 伝道に来た霊の親のすすめで 統一原理をビデオセンターで勉強することになり 「神様は悲しんでいる」で驚くことになるのです。


両親は無信仰だったし 兄弟にも信仰やスピリチュアルに興味のある子はいませんでした。

それから一直線に献身して ただただ可哀想な神様をなぐさめることに邁進して行きました。


その時代 ある男性の先輩が 「僕は使命観で来たんだけど、あなたはそういう情で来たんでね。いいなあ。自分にはよくわからない、羨ましいなあ」と言われた事を覚えています。


そう言われて 私は少し誇らしかったです。いったいどれぐらいの人が 目には見えない神様を「かわいそう」と言って 自分の人生を捧げようとするだろうか。私は神様と特別な関係にあるような気がして嬉しかったのです。


そのように、私の20代の信仰生活がは始まりました。