お母様 ああ真の お母様

私が入教した頃のお母様は本当に美しかったです。パステルカラーがよくお似合いでお父様の隣で言葉少なく微笑んでおられる姿や 御言葉は少なかったですが 本当に可哀想な神様を慰めたいのですと 涙される姿に ああ本当にこの方は私にとって 真の、心の母なのだと思いました。


もちろん私は 実の母親も大好きでしたが 実の母親は神様が可哀想と泣いたりはしないので、、


お母様に似たくて 台所にはいつもお母様単体のお写真を飾っていました。


そんな真のお母様でしたが

???と思い始めたのは お父様が亡くなってからです。統一家の中で何があったのかは わかりません。まずしばらくして お母様の 口調が変わりました。

「あなたがた」が「おまえ達」になり

「やりなさい」が 「やれ」に なり、 お父様がいらっしゃらないので お父様の真似をしておられるのだろうか…そんなことをしなくても お母様はそのままでおられても 私達は お二人共 一対で 「真の父母」と信じているのに…と違和感を隠しきれませんでした。


笑えないのは 韓国でお母様のみ言葉が映像で流れる時、お母様の言葉はタメ口の命令形で 字幕は丁寧語になっていることです。協会でもヤバいと思ってるんでしょうか。


霊界をあれほど強調しながら、 霊界に行かれたお父様の存在が日に日に薄くなって行くような気がするのは なぜなのでしょうか。

韓国のなんちゃって伝道

韓国の教会に来て驚いたことの一つにその活動のやり方があります。高い目標を掲げて 内容はなくてもとにかく数を合わせて "やったことにする" いわゆる 「条件的伝道」です。


本人達は 統一教会に入会したことも ましてや 文先生を メシアと受け入れて祝福を受けた訳でもないのに 知らないうちに 「祝福家庭」として カウントされています。もちろん その本人達が入会費や 祝福献金を納めるはずもなく それは伝道した人の責任になります。


騙してでも 聖酒を飲ませれば いい霊界にいける?内容よりも 摂理上 数を合わせることが 急務?とにかく メシアが言われることには疑問を抱かず、やれと言われた事をやり通す事が 信仰である?こんな形でもシック達が一生懸命やっていたら いつか偉人が復帰されて摂理が一気に進むのでしょうか。


国家復帰したよ! な~んちゃって!

地上天国できたよ! な~んちゃって!


てなことに ならなければいいのですが


36万双の記憶

日本では 一生懸命伝道し 祝福前に霊の子は10人以上に なっていました。


韓国に嫁いでしばらくは 生活になれること、家事や育児に忙しく 活動らしい活動はしていませんでした。初めて 教会での伝道活動に出たのは 私の祝福から 6年後の、36万双祝福のための伝道摂理のときです。


1982年に6000双、1988年に6500双、1992年に 3万双、それから 3年後に 36万双、、、


あまりにも現実離れした数字でした。

それを ただただ 「摂理」であり 神とメシアのみこころであると信じた 教会は それこそ 「猫も杓子も」的な伝道を始めます。原理の理解や信仰などどうでもよく、ただ「日本人と結婚したい人」を集めるような、です。中には「日本人と結婚したら お金をいっぱい持ってくるし家や車も買ってくれる」と嘯いて たくさんの男性を集めて 伝道勝利の表彰状をもらった人も いたそうです。


私もやりながら 「何か私たちのわからない 深い御心があるに違いない」と自分を納得させようとしましたが 「もし この男性の相対者が自分の妹だったら」と考えてみた時 とても紹介できない!と感じて私は伝道活動をやめました。


私のレジスタンスは当時 それが精一杯でした。

私が 活動をやめても 当然36万双祝福は挙行され 以後、たくさんの 「難しい家庭」が生まれる事になります。



それも 「何か深い 意味があるのだ」と 思い込もうとしながら、心には 何か解けないしこりが残りました。