別の親

肉親の親以外の人を 突然 「真の」親と呼び 付き従うようになった 娘を見て 親はどんなに衝撃を受けたでしょうか。私を連れ戻そうとした両親といざこざした時 お前は親に失望したのかと悲しそうに父は言いました。私は それだけは違うと、親に十分愛されたので 神様を知る事ができたので感謝しているのだと涙ながらに 話した記憶があります。


それでも 私は 家系の歴史を担う 氏族的メシアであり 理解できない親に申し訳ないと思うよりは 却って 親を「許さなければ」のような、今思えば 随分 傲慢だったと思います。


私は 頑固でわがままなところがあり、自分の意思はとおす性格だったので 許せないところを許してくれ 受け入れてくれたのは 却って 親や家族の方だったと 今は 申し訳なく感じています。


神の国を作ろうとし 神様を慰めようと 歴史的使命感をもって 海を越え祝福結婚に望んだことは後悔しません。その 生き方がいい意味で より素晴らしい世界に 繋がっていく事を 願っています。

神様の声?

21歳で献身してから27歳で韓国人と祝福を受け韓国に渡るまで、私の青春は教会とともにありました。色々な活動をする中で、 私は3回、神様の声を聞いたと思っています。


初めは 教会生活の始まった初期の頃、ひとりで電車で移動中 頭の中に 「きょうだいを愛しなさい」という声が聞こえたのです。もちろんそれは肉親のきょうだいではなく、一緒にいる信徒たちの事だと理解しました。別にびっくりとかはしなくて「ふーん」という感じでした。


毎日御言葉を聞いているのでどこかのフレーズが深層意識からでてきたんでしょうか?そうかもしれません。


2度目に神様の声を聞いたのは、伝道活動をサボりたくなって公園のベンチに座っていた時の事です。「私を信じなさい」という声です。


「ふーん」信じろか....じゃ信じてみます。絶対次のブロックで 伝道する人に出会います。100%信じるけれども、もし会えなかったら全てパーです。もうあなたを、信じないかもしれない。


そうして次のブロックをいっけんいっけん周り初めましたが 私はもしかしたら自分が消え去るかも知れないと思えて悲しいような気持ちになりました。

でもそのブロックを周り切らないうちに、ある立派な家の70歳ぐらいの婦人に出会いました。

カトリックの熱心な信者でしたが 私の話を受け入れてくださり ビデオセンターに通い最終的に後父母様をメシアとして受け入れて行かれたのです。


3番目の時、なにかで私は怒っており興奮した状態で祈祷室に入り 闇雲に神様を攻め出したのです。「こんなこと、おかしいではないか」「私は怒っています」と、祈祷の順序も形式もあったものじゃありません。その時聞こえてきた声はこう言いました。


「そのように、いつも私を求めてきなさい」


私は怒っていたとこも忘れてしばらく考えました。


そして、いつもそばにいるのに 人間たちは苦しい時も悲しい時も嬉しい時も ちっとも自分を求めてこない わたしの神様はやはりさみしいのだと しんみりとしてしまいました。

チョンピョンについて

清平の記憶はまだプレハブのほったてごやの頃までさかのぼります。初めはそんな中心摂理ではなく、霊的にいろんな問題を解決できるというシックのところに個人的に相談しているという感じでした。


何年かたって 設備も立派になり、全てのシックは白い服を着て定期的に清平で先祖解放をするようになりました。


ある日いつものように 家族で清平に来て 役事をしている時 子供がグズったので おんぶして外を歩いていました。役事の時間は外には誰もいなくて 広場を横切り洗濯場のところまで来ると

ひとりの男性のシックが座っていました。


私も知っている人でたしか1年ほど前に奥さんをなくされた方でした。


私はそんな彼なので 会えなくなった奥さんを清平で感じたり 特別な事があるのではないかと彼がなにか言い出すのを興味津々で待っていました。


彼は口を開くと、「こんなのおかしい。何なのか。いつか統一教会は、清平教にのみこまれてしまうよ」独り言のようにボソッといったのです。


彼が今どこで何をしているかはわかりません。


その時はただ、......そうかあ。そう思うんだなあ。そうなるかも知れないし ならないかも知れない....未来のことはわからないし。と、ぼーと考えていました。


何故か忘れられない記憶なので記しておきました。