36万双の記憶

日本では 一生懸命伝道し 祝福前に霊の子は10人以上に なっていました。


韓国に嫁いでしばらくは 生活になれること、家事や育児に忙しく 活動らしい活動はしていませんでした。初めて 教会での伝道活動に出たのは 私の祝福から 6年後の、36万双祝福のための伝道摂理のときです。


1982年に6000双、1988年に6500双、1992年に 3万双、それから 3年後に 36万双、、、


あまりにも現実離れした数字でした。

それを ただただ 「摂理」であり 神とメシアのみこころであると信じた 教会は それこそ 「猫も杓子も」的な伝道を始めます。原理の理解や信仰などどうでもよく、ただ「日本人と結婚したい人」を集めるような、です。中には「日本人と結婚したら お金をいっぱい持ってくるし家や車も買ってくれる」と嘯いて たくさんの男性を集めて 伝道勝利の表彰状をもらった人も いたそうです。


私もやりながら 「何か私たちのわからない 深い御心があるに違いない」と自分を納得させようとしましたが 「もし この男性の相対者が自分の妹だったら」と考えてみた時 とても紹介できない!と感じて私は伝道活動をやめました。


私のレジスタンスは当時 それが精一杯でした。

私が 活動をやめても 当然36万双祝福は挙行され 以後、たくさんの 「難しい家庭」が生まれる事になります。



それも 「何か深い 意味があるのだ」と 思い込もうとしながら、心には 何か解けないしこりが残りました。