神様の声?

21歳で献身してから27歳で韓国人と祝福を受け韓国に渡るまで、私の青春は教会とともにありました。色々な活動をする中で、 私は3回、神様の声を聞いたと思っています。


初めは 教会生活の始まった初期の頃、ひとりで電車で移動中 頭の中に 「きょうだいを愛しなさい」という声が聞こえたのです。もちろんそれは肉親のきょうだいではなく、一緒にいる信徒たちの事だと理解しました。別にびっくりとかはしなくて「ふーん」という感じでした。


毎日御言葉を聞いているのでどこかのフレーズが深層意識からでてきたんでしょうか?そうかもしれません。


2度目に神様の声を聞いたのは、伝道活動をサボりたくなって公園のベンチに座っていた時の事です。「私を信じなさい」という声です。


「ふーん」信じろか....じゃ信じてみます。絶対次のブロックで 伝道する人に出会います。100%信じるけれども、もし会えなかったら全てパーです。もうあなたを、信じないかもしれない。


そうして次のブロックをいっけんいっけん周り初めましたが 私はもしかしたら自分が消え去るかも知れないと思えて悲しいような気持ちになりました。

でもそのブロックを周り切らないうちに、ある立派な家の70歳ぐらいの婦人に出会いました。

カトリックの熱心な信者でしたが 私の話を受け入れてくださり ビデオセンターに通い最終的に後父母様をメシアとして受け入れて行かれたのです。


3番目の時、なにかで私は怒っており興奮した状態で祈祷室に入り 闇雲に神様を攻め出したのです。「こんなこと、おかしいではないか」「私は怒っています」と、祈祷の順序も形式もあったものじゃありません。その時聞こえてきた声はこう言いました。


「そのように、いつも私を求めてきなさい」


私は怒っていたとこも忘れてしばらく考えました。


そして、いつもそばにいるのに 人間たちは苦しい時も悲しい時も嬉しい時も ちっとも自分を求めてこない わたしの神様はやはりさみしいのだと しんみりとしてしまいました。